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「Coexistence_1」
キャンバス・油彩 410×318mm 2004
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「Coexistence_2」
キャンバス・油彩 455×380mm 2004
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「Coexistence_3」
キャンバス・油彩 520×455mm 2004
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「Coexistence_4」
キャンバス・油彩 2496×2100mm 2004 多摩美術大学『卒業制作優秀作品集 2005』掲載作品
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「Coexistence_5」
キャンバス・油彩 2733×727mm 2004
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「Coexistence〜夜景〜」
キャンバス・ミクストメディア 1303×1620mm 2005
Coexistence
描かれている木々はわれわれ人間の姿であり、動物や植物の姿でもある。
それは、木という形をかりて自らを映し出しているあらゆる存在の姿である。
木の形状は簡略化されている(幼少期あなたがイメージし描いた一番シンプルな木の形状は、この様なものではなかったか)。
ひとつの記号やマークの様に扱われ、作家本人の手によってではなく、誰もが簡単に操作することが可能である。
画面を見つめ、あなたの記憶の中にこのシンプルな形状を留めておくだけでなく、後々その形状を思い出しノートの片隅に描き起こすことも可能であろう(操作)。
画面(キャンバス)は世界をあらわす。
ここでいう世界とは国や地域を示すだけでなく、ある存在がおかれている環境や状況、立場といったものも含まれる。
これは四角い画面でくくられているものの、現実の世界であるような区別はない(国境や、民族の間の隔たり、人種・性別・宗教による区別、種の分類などそのようなくくりはないということ)。
その中に描かれている(存在している)木々たち。その形や色、大きさは様々であるが、優劣や格差といったものはない。
時に密集し、時に孤立する木々たち。それは自らの意思を持っているかのように。
いわれのない膣錠でそれらは自らの存在を保っているわけである(そこに描かれているわけである)。
彼らの姿をよく見つめてほしい。ひとつひとつの木の形、色、大きさを。
自分自身や、自分の大切な存在に置き換えて。